【死のうとした叔父の上で飛び跳ねる少年】
こんばんは、神崇仁です。
今日も深夜のテキストコーチング、
しばしお付き合いください。
そして今日書くことは、
ほんの一握りの人を除いて
ほとんど誰にも話したことがないこと。
勇気を持ってシェアします。
さて
ここ数日、ちょっと真面目な
コーチングの話を書いています。
これからの時代、
どんなコーチングをしているかが
浮沈を決める。
なんとも衝撃の内容と、
そしてこれから、
いやもうすでに増えつつある
あるクライアントのことについて
この2日で書きました。
今日は、昨日の続き。
もしあなたが突然、
自分の手に余るクライアントが
現れたら、どうしますか?
腰引けたりしませんか?
あれは10年前、
僕の某N L P団体でのデビュー戦のこと。
N L Pプラクティショナーコースの初日。
ガイダンスや自己紹介を終えて、
休憩になる前に、
どうして僕がN L Pをしようと思ったのか、
について話をしていた時、
嗚咽して泣き出す女性がいました。
特に何かを話したわけでもなかったはず…
でもすごかった。
「大丈夫かなぁ…」
そして休憩に。
僕はじっと彼女のことを見ていました。
そしたら、
彼女、当時の僕が驚くような行動をしたんです。
何をしたか、
自分の鞄の中をゴソゴソと探して、
そして何やら錠剤をいくつか飲んだんです。
それを水で押し込むかのように飲んで…
「あれ、マジか?」
彼女に聞きました。
「さっき飲んだの何?」
「あ、あの私、最近までひどい「うつ」で、
今もずっと会社休んでて、
でも、なんとかしなくちゃ、と思って…
心療内科に通いながら
それでここにきたんですけど、
先生の話聞いてたら、
良くわからないけど、
涙が止まらなくなっちゃって‥」
「それでお薬飲んだんだ…」
詳しくは忘れましたが、
確か彼女が飲んだのは、
精神を安定させる薬だったと思います。
僕が初めて「うつ」に出会ったのは、
これが初めてではありません。
最初の出会いは、小学校2年の時。
(確か…)
うちの母親の兄、
つまり叔父が、急に訪ねてきて、
何日か家に泊まっていったんです。
数日は何もなかったのです、
子供の僕には至って普通の物静かなオジさん。
でも面倒見が良くって、
たくさんキャッチボールをしてくれました。
ある日、学校から帰ってきて、
「キャッチボールしようよ」
と寝ている叔父を起こそうとしたのですが、
体がブランとして全然起きてくれない。
ちょっとムッとしたのだと思います。
僕はその叔父さんの上で
「キャッチボール!」と言って
飛び跳ねました。
その時、母親が帰ってきて
異変に気づいて…
睡眠薬を大量に飲んで、
死のうとしたそうです。
幸い一命を取り留めましたが、
めちゃめちゃ怒られました。
「なんで気づかないの?」って
言われた気がします。
まぁ母親も動転してたでしょうから、
仕方ありませんよね。
あとで母親が、お兄ちゃんは、
ひどい「ノイローゼ」だったと
お医者さんに言われた。
そう教えてくれました。
心のどこかで、心の病というのは、
とても怖いものだ。
僕の中にそう刻み込まれた経験でした。
叔父と彼女を重ね合わせた僕は、
そのトレーニングの最中、
気が気でなりませんでした。
N L Pトレーナーになって
1年も経たない時、
既に10コース以上の経験を
積んでいたけど、
「うつ」で病院に行きながら
トレーニングに参加する人に
会ったのは初めて。
どうしていいか
全くわかりませんでした。
もしあなたが突然、
自分の手に余るクライアントが
現れたら、どうしますか?
あの時僕は、彼女に聞きました。
「病院の先生にN L P学ぶって話した?」
「いえ、話したら反対されそうだったので。」
「じゃぁ、先生の許可とってから来て。」
当時の僕は、ただただ、
その状況から逃れたかった。
今では考えられないことですが、
もし何かあったらどうしよう。
他の参加者への影響も計り知れない…
そう考えて、
彼女の受講を延期してもらいました。
*その数ヶ月後、
彼女はなんとか参加して、
その後たくさんの学びをしてくれました。
でも僕の中でとても心に残る出来事となりました。
うつ、医者、自死
これらのことを当時の僕は、
子供の頃の経験を重ね合わせて
過度な因果関係を持ってしまった。
その結果
不必要なくらいの心配と反応をした。
あの頃に今の知識と経験があったら、
もちろん違った応答だったと思います。
でもあの頃はあれが精一杯の対応だった。
もしあなたのクライアント、参加者に
「うつ」であることを告げられたら、
あなたはどう対応しますか?
何ができるでしょうか?
いったい何をしたら良くて、
何をしないほうがいいのか。
何が効果があって、
何がリスクなのか?
当時の僕には分からなかった。
そういう状況って
腰引けますよね。
ではまた!